秋祭り

秋祭り

三輪神社の秋祭りは、三田天満神社の秋祭りと並んで、北摂三田の二大秋祭りとして親しまれています。

三輪神社社記によると、「毎年九月九日(旧暦)ヲ以テ神事ヲ修ス」とありますが、現在は新暦の十月の体育の日の前日の日曜日に行われています。

祭りの一カ月前になると、祭りの役付けを決定し、子供御輿等の準備が始まります。九月下旬には区と婦人会によって御幣作り、10月1日には太鼓の乗り手や神楽保存会によって太鼓と神楽の練習が行われます。宵宮の前日には神楽保存会による獅子舞が氏子の各家を回り「荒神払い」を行います。

午前9時ごろ神殿では宮司と宮総代、関係区長等によって神事が行われ、10時ごろに桶屋町から曳き壇尻が社務所前に到着します。
拝殿ではこれから巡行するする神輿に御神霊が移されると神楽保存会のよって荒神払いが奉納されます。

総年番長のかけ声で午前十時三十分に巡行が始まります。総勢百数十人のかき手によって、「トーリマセー」のかけ声とともに布団太鼓を担ぎ上げ、鳥居をくぐる際には「サッサー、ヨイヨーイ、アーヨイヤーセー」のかけ声に変わり難所を越えます。三輪本通りでは「アーヨシタ」かけ声で練り歩さます。「エーヘーラ、ホーホーラ、エーラサッサ」。万年橋を過ぎ、新町の中程になると道幅も広まり、車瀬橋の詰めで小休止します。ここは三輪神社氏子の最南端にあたるところです。車瀬橋ではまず桶屋町の壇尻が橋の上を駆け回り、続いて町と地家の壇尻が橋の中央付近まで行き、「サーシマセー」と両手を伸ばして壇尻を差し上げ、やがて神社に向かって同じ道を引き返します。

このとき御輿は、武庫川場防沿いに相生橋付近まで行き、そこで折り返し、中道を通って、通称三角のところから都市計画道路を通って御旅所に向かいます。太鼓や行列再び神分踏切北の御旅所に到着します。

御旅所では御輿台の上に御輿を来せて神事が行われ、神楽が奉納されます。午後1時20分頃になると行列は御旅所を出発します。このとさ太鼓の乗り手は交替します。
本宮当日ではまず午前5時半ころから壇尻が組み立てられます。三輪区の壇尻は地家と町に一基づつありりどちらも赤色の三段重ねの布団太鼓です。

まず、子供御輿が宮入をします。続いて曳き壇尻が神社煎の女子坂を上るとさには、力が入ります。桶屋町の曳さ壇尻は重さが2トンあるともいわれ、自町のひさ手だけでは境内まで引さ上げられれません。このため、三輪の人たちの応援を得て、「チキ、チキ、チン、ドンドン」、「ソーレ」とゆっくりしたかけ声で安全を確かめながら、時間をかけて急坂をのぼります。境内まであがると、そのまま宮入をします。桶屋町の壇尻が三周日に入ったころ「町」、「地家」の順番で社務所前から宮入に向かいます。

曳さ壇尻、太鼓、御輿は国道176号線から三輪交差点を経て県道後川線に入り、地家を巡行し三輪食堂で折り返します。このとさはふとん太鼓の下に台車を入れ、曳いて回ります。神社へ帰って、少し休んだ後、午後四時頃から祭り最大の見物である宮入が行われます。

二基の太鼓が境内を練っているとき、最後に御輿が境内に入り、祭りはクライマックスに達します。やがて町と地家の太鼓の競り合いとなり、この間、境内北西に盛り土をしてあるところを三回まわってくることになっています。この場所には以前に大きな杉の木が一本ありましたが、昭和47年頃に枯れてしまったため、杉があった元の位置に御幣をさし、その名残をとどめています。

「サーシマセー」「サーシマセー」 のかけ声と太鼓の音が明神の森に響きわたり、二十分ほどして御輿は神社拝殿に納まります。宮入では「地家の太鼓が先に落とすと凶作になる」というジンクスがあり、町も「商売繁盛」を願って薄暗くなるまで練り合いが続きます。

例年、町の太鼓に続いて地家の太鼓が降ろして、宮入が終わります。このとき「シャーンシャーンシャントコセッノ、シャシャーンシャントコセ」 の囃子を速いスピードで鳴らし、太鼓庫の近くで回転します。まるでかき手の労苦をねぎらっているようだといいます。宮入が終わると、その場ですぐに二基のふとん太鼓は解体されて、本殿東の太鼓庫に収納されます。

氏子総代会長の挨拶があり、大勢の見物人が待ちわびる中、拝殿や石垣の上から境内に向けて約85kgの餅まきがあり、境内での宮入行事はすべて終わります。
午後7時から幣殿で波宇也党の人たちによってハウヤ踊りが奉納されます。

夜には夜店が十数店、裸電球の元で、おもちゃや菓子類、当て物、食べ物などが売られて賑わいます。午後7時30分頃御旅所から神社へ向かって子供会による提灯行列が行われ、夜の部に華を添えます。午後八時から神楽が奉納されて、十時頃にはすべての行事が終わります。会館では神楽保存会の直会が始まります。

翌十日は各組長たちによって午前中、祭り用具の陰干しをし、午後は後宴があります。